【500年間、北条五代を弔ってきたお寺】
早雲寺は臨済宗大徳寺派の古刹(由緒ある寺)です。
大永元年(1521)北条早雲の息子氏綱により創建されました。
小田原北条家の菩提寺として栄えましたが、天正18年(1590)4月5日、箱根山を越えてきた豊臣秀吉の本陣となり、6月下旬に石垣山一夜城が完成すると火を放たれ、当時関東屈指の禅刹は、一度消失。その後、寛永4年(1627)僧侶 菊径により再興されました。
山門の左側の鐘楼に大きな古い梵鐘があり、これは豊臣秀吉が北條氏を攻めて小田原に押し寄せたとき、石垣山の一夜城に使われたといわれています。
箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったと言われています。
現在の伽藍(がらん:寺院または寺院の主要建物群 )は江戸時代再建以降のものですが、北条五代画像をはじめ戦国時代・江戸時代の文化をしのぶ多くの文物が伝えられています。
現在、早雲寺には、戦国時代を代表する文化人として名高かった北条長綱(幻庵:早雲の三男)の作といわれる枯山水(かれさんすい、かれせんずい)庭園が残るほか、北条五代の墓、「北条早雲像」(国指定重要文化財)などの文化財が保存されています。
北条五代
①北条早雲(1432~1519)
俗名 伊勢新九朗長氏。戦国時代初期を代表する武将。京都から駿河今川家に身を寄せ、伊豆・相模を攻略して独立、戦国時代の幕を開いた。伊豆韮山で没。享年88
②北条氏綱(1486~1541)
父 早雲の意志を継ぎ、武蔵・下総へ進出。小田原北条氏の領国を拡大した。享年56
③北条氏康(1515~1571)
扇谷上杉家を滅ぼし、甲斐の武田、越後の上杉謙信の関東進出を防いで領国経営に優れた手腕を発揮した。享年57
④北条氏政(1538~1590)
夫人は武田信玄の娘の黄梅院。信玄の西上を援護、その没後は織田信長と連携して武田討伐に加担。やがて豊臣秀吉に敗れ切腹。享年53
⑤北条氏直(1562~1591)
夫人は徳川家康の娘の督姫。下野の宇都宮氏を降ろし、小田原北条氏最大の領地を形成。上野の真田真幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立し敗れる。家康の助命により高野山に流される。享年30
寺の裏手の自然林(早雲寺林)は、スダジイを主体とする常緑の広葉樹林であり、絶滅危惧種のヒメハルゼミの生息地として、県・町の天然記念物に指定。
6月末から7月中旬にかけて、このセミの合唱が、早雲寺の初夏夕暮れの風物詩となっていて、7月初旬のイベント「ヒメハルゼミ抜け殻探し観察会」は、ファミリーにおすすめです。
11月初旬の3日間、本堂の襖絵と寺宝を特別公開していますので、11月3日に行われる箱根大名行列と併せて、見学をおすすめします。
入場料なし。 ただし、11月上旬3日間に公開される寺宝の拝観料は、大人500円。
こちらへのアクセス
<電車の場合>
・箱根湯本駅から徒歩15分
・箱根湯本駅から箱根登山バス(K路線)約3分「早雲公園前」バス停下車すぐ。